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平成28年12月29日深夜 集団ストーカー犯行部隊に立ち入り禁止のテープを切られ、裏からとなりを通って侵入されガス栓をとめられ、屋根の上の湯から水道に切り替えられ、表に回って2階の防犯カメラと玄関の割れたガラスにはった段ボールにレーザーを当てられ、家のみかんを玄関ドアとベランダに投げつけられました。さらに午前10時ごろ父が急に熱が出て息がとまりました。数分後息が戻りました。そのあと熱は平熱になりましたが脈がバラバラで30分おきに息がとまったり、数秒か数十秒後に息が戻るを繰り返して最後息が戻らず、火葬が終わるまで私がついていました。父は平成28年8月19日に肺炎で小牧市民病院に入院しました。そのあとすぐ胃かいようと糖尿病になって食事を禁止されました。1か月で肺炎は直りましたが11月には水も飲めなくなってベッドでずっと寝たきりで点滴をしていました。

私はステロイドが猛毒とは知らずに父が入院するとき3枚の同意書に署名をしてしまいました。1枚は身体拘束の同意書。もう1枚は点滴の針が腕に入らなくなったとき首にうつ同意書。もう1枚はわかりませんでしたが、後でステロイドで治療をする同意書だったことがわかりました。しかし当直医からステロイド薬に重い副作用がある説明はなかったし、毒を入れた点滴を打たれて容態が急変するのは大口病院点滴殺人事件で証明されている。ちなみに最初ただの風邪と思ってタクシーで行こうとしたら肺炎で父が歩けなくて救急車で行ったら入院したという感じです。