サムネイル

みなさんきいてください 私は平成30年4月18日午後8時58分に自転車に乗って集団ストーカーのことを広めるビラはいりませんかといっていたら暴漢に襲われて、警察に私が先に暴漢の嫁に暴行したといって逮捕され、22日間警察署に勾留されて精神病院に放り込まれました。実際は違います。私は午後8時58分に自転車に乗って「集団ストーカーのことを広めるビラはいりませんか」「集団ストーカーはキチガイの群れです」「みなさま、お気をつけてお過ごしください」といって岩倉市下本町西沼120番地タウニー西沼というアパートのところまで来たら女がアパートの横で待ち伏せていてうるさいといいました。無視して女の前を通り過ぎたら女がいたほうから暴漢が襲ってきて自転車を蹴り倒されました。私は自転車ごと倒されてなにがなんだかわからないで顔面や頭を蹴られて、両手で顔を覆ったら手の上から蹴られて、立ち上がったら手の隙間から殴られたり、唇の上のあたりとこめかみのあたりを先のとがったもので刺されたり、腰のあたりをめちゃくちゃに蹴られました。額を骨折するくらい固い靴で何十回も蹴られ、暴行がやんで暴漢を見たらねずみ色のスエット上下を着た男が私の自転車を頭の上に持ち上げてこっちを向いて立っていました。私は自転車を投げつけられると思って手を頭の上にあげましたが、投げないので走って逃げました。10メートルくらい行ってふり向いて見ると、道路の横の金網のフェンスで仕切ったどぶ川に歩いて行って自転車を投げ込んでこっちを見ていました。私は男が追いかけてこないので暴行が終わったと思って歩いて家に向かいました。家に向かっていく途中に川の橋のところでさっきの方からパトカーのサイレンがして、いちい信用金庫と動物病院の間の道路まで来たらパトカーが待ち伏せていて100メートルくらい前でライトをつけました。少しして上向きに切りかえて赤色灯をつけました。それが合図で銀行の駐車場から暴漢が襲ってきました。めちゃくちゃに顔面を殴られたり腰のあたりを蹴られ警官がとめに来ました。私は顔を覆っていた両手をおろして暴漢を見たらさっきの男が青い工場の作業着のような上着を着ていました。そのあと1分くらいで救急車が来ました。私は転んだと嘘をついて搬送を拒否すると警官が救急隊に、9時ごろ男の嫁がアパートのベランダで洗濯物を干していると私が集団ストーカーのことを広めるビラはいりませんかといって来たので、うるさいといったらどちらかの手で右腕をつかまれて引っ張られ悲鳴を上げた。だんなが悲鳴を聞いて飛び出してきて殴ったり蹴ったりして逃げないように自転車を土手に捨てた。逃げたので追いかけてきて殴ったり蹴ったといっていました。そのあと警察に私が先に暴漢の嫁に暴行したといって逮捕され、暴漢は過剰防衛で被害者でした。2度も暴漢を仕向けられ、でっちあげで逮捕されたのでやってないといっても無駄だから、警察の取り調べは裁判で最後の意見陳述のときにいうといって黙秘しました。検事には取り調べを録画するというのであったことを話しました。そしたら無理やり精神病の簡易鑑定に連れて行かれたり、留置場の面会室で精神鑑定をされて、延長の拘留期限に精神病院に放り込まれました。私の両親は私を精神病院に入院させることに反対して平成28年に父を肺炎、翌年母を脳梗塞に見せかけて毒殺されました。みなさん、自分からぶつかって行って転んで公務執行妨害をでっちあげる警察と仲間の検察、裁判所を信じないでください。

5月9日に精神病院に放り込まれました。10日程してから毎日朝1個精神安定剤を処方され服用を拒否したら、薬を飲まないと精神安定剤を点滴する、副作用が強いから薬を飲んだ方がいいといわれましたが拒否していたら、静養室という部屋に連れていかれて紙オムツをはかされ、鍵がかかるベルトを両手首と両足首と腰に巻かれてベッドに縛り付けられ、精神安定剤といって気道が狭くなった感じで呼吸が苦しくなる薬、手足がだるくなる薬、何回おしっこをしてもすぐまたしたくなる強い利尿薬を混ぜた点滴を打たれ拷問されました。薬を飲んだら点滴をやめるというので仕方なく飲んだら45分に1回おしっこがしたくなる弱い利尿薬でした。そのあと今度は岩倉の家を引っ越せと言われて拒否したら食事に下剤を入れられて激しい下痢になったり、夕食に利尿薬を入れられて何回おしっこをしても残っている感じで、すぐまたしたくなって朝まで眠れなかったり、フッ素を盛れられたりされました。拒食するとトイレに私しかいないときにフッ素を撒かれ、フッ素を盛られたり吸わされるとものすごくのどが渇いて我慢できないので水道水を飲んだり、歯磨き粉で歯を磨くとフッ素がとれるので歯を磨いたりしていたら、拒食してから14日目に水道水を飲んだら味がわかるくらい大量のフッ素を流され、胃をしぼりだされるみたいに水と黄色い胃液をはきました。そのあと何回歯を磨いてもフッ素がとれなくて、口の中がからからに乾燥して、16日目の夜のどが渇いて我慢できなくてお茶を飲んだらものすごく気持ち悪くなって赤い小便が出て、オレンジ色の胃液と多少血を吐きました。お茶の入った容器は私が飲んだあとに職員が回収していきました。次の朝、食事を食べたら拷問をやめてくれるかと思って朝食を食べたら水道水にフッ素を流されなくなりましたが、3日程してからまた食事に拷問剤を入れられるようになりました。それから10月2日に退院して家に帰ってきたら駐車場に前輪をチェーンにつながれ鍵をかけられた自転車と盗まれた自転車とどぶ川に投げ捨てられた自転車のほかに建築廃材や自転車の車輪や自転車2台が捨てられていました。家の中も土足で入られて防犯カメラのモニターを盗まれていました。それからタンスや押入れをかき回されていました。それから窓を開けられ百メートル西の工事現場から土を掘ったほこりが風で飛んできて家の中がまっくろになっていました。犬山病院は男性病棟、女性病棟というのはありません。便所は男子トイレ、女子トイレありますが、風呂は男女一緒で、男性、女性の順番で入っていました。女性患者が男性職員に裸を見られたと騒いでいたことがあるので、女性は食事に私に使われるみたいな本人しかわからないような薬を入れられて拷問されるだけじゃなくて、男性職員に風呂や着替えを見られて嫌がらせをされます。犬山病院では女性職員が何人か男性患者の風呂に入ってきて障害が重い患者の着替えをしていたので、犬山病院が狂っているのは間違いありません。障害が重いといっても体の病気じゃなくて頭の病気なので、服を脱げといえば自分で脱いで、着ろといえば着てました。薬で歩けなくされて車いすに乗っている患者は男性職員が持ち上げて服を脱がしたり着せていました。食事を食べる席は決まっていました。職員が全員の分を配ってどうぞうといったら席について食べていました。食事のいやがらせは薬物を混入するだけじゃなくて咳をかけたり、ふけをかけたり、新聞をぱたぱたやってほこりをかけたりしてました。間者同士もやってました。患者が病院の職員にさからったり口答えをしてほかの間者にやられているのを何回も見ました。間者が食事に砂かなにかガリッとするごみを入れられてトイレに吐き出しに行ってるのも何回か見ました。私のいた病棟は患者が男女48人くらいでほとんど私みたいな普通の人に嫌がらせをするスパイでした。なんの薬なのか5錠も6錠も朝昼晩に飲んだり、中には楽しくなる薬という麻薬みたいな薬を飲んでいるのもいました。叫んだり歩き回ったりするほんとうの精神病は4、5人で、昼は精神病者も気持ち悪いといって食べない薬入りのおかゆを職員がスプーンで無理やり食べさせていました。食べないとまた点滴するぞといって食べさせているのでどういうことかと見ていたら、精神病が重い人は食事をのどに詰まらすという理由でおかゆですが、職員がスプーンでおかゆの中からラグビーボールみたいな形をした白い大粒の薬を1個すくいとって食べさせていました。夜は鍵がかかるベルトでベッドに縛りつけていました。犬山病院は騒いでうろうろしたり、職員のいうことを聞かない患者の食事に薬を混ぜてひっくり返って立てなくしたり、神経をおかしくしたり(食後ぼんやりした感じになって体が熱くなるのか服やズボンを脱いだり、大小便を床にしたり、鼻血が出たり、床に落ちているものを拾って食べたりしていました)、一か月くらい鍵のかかるベルトでベッドに縛り付けて点滴をして歩けなくして車いすに乗せていました。大声を出す患者は白い粉を飲めといって飲ませて声を出なくしていました。飲むと気持ち悪い気持ち悪いといってました。薬が切れてまた走りまわったり大声を出すとなにか薬を飲ませて車いすにベルトで縛り付けたり、鍵がかかるベルトを両手首と両足首と腰に巻いてベッドに縛り付けていました。